日蓮宗の開祖、日蓮上人は1222年2月16日に、千葉県安房郡天津小湊町の漁夫の子として生まれ、1282年10月13日に61才で入寂されました。
12才で清澄寺に入り、16才で出家して以来、おおむね50年の間の出来事は波乱万丈であった事は、みなさまご承知の通りと思いますので、本欄はそのことは省きます。
本欄は本尊である大曼荼羅の事柄と、別項に法華経に登場する諸仏・諸菩薩及び諸天神の神通力や法力を記述致します。
日蓮上人が大曼荼羅を書き始めた初期の頃は、文永八年に一遍首題式といわれる首題の両側に、愛染明王と不動明王だけしか書かれていないのが、京都立本寺に所蔵されています。
次に文永九年に首題の両側に釈迦牟尼仏と多宝如来の二仏が加わり、一塔両尊式としたもの。
次に首題に、二尊四士式という具合に、年を重ねるごとに次第に、配座神仏が増えてゆき、もっとも円熟された弘安期の大曼荼羅が今につたわるもの、と考えられています。
大曼荼羅は大略ながらこうした変化といいますか、ストーリーは初期の頃、例えば信者の人が病気などで困った時、日蓮上人に救いを求めると、ご上人は信者の素質に合わせ、法華経を教示する。
その際、法華経を信じる人々には、いかなる病や障りもなく守護されると、大曼荼羅にその証拠となるべく神仏の名を記し、その守護を説かれながら書いた物が初期の頃ではないかと言われています。
こうした呪符的・護符的な性格から次第に、世の中総ての人々が法華経を信じて、安穏にくらせるようになってもらいたい、という思想が霊山浄土に見る須弥山構想に移っていったのではないでしょうか。
ここで「須弥山とは何か?」をもう一度ご覧下さい。
そこに霊鷲山(霊山浄土のこと)という処があります。この浄土に今から2500年もの昔にお釈迦様は大説教会(二処三会ともいう)を催されました。
その内容は、無量義経から始まり、法華経二十八品。文字の数にして69348字を詳しくお説きになったのです。