お盆の歴史

仏にまつわる慣習・行事

「お盆」という言葉は、あまりにも多く使われています。たとえば、その代表的なものに「盆おどり」、「盆と正月が一緒に来たようだ!」とか「盆・暮れには○○○」とか、あるいは「お盆までに必ず仕上げます」など、多くは一つの節目に「お盆」という言葉が用いられているようです。

 毎年のことながら、盆休みを利用して国民の大移動があります。難行苦行の帰省は、日本独自のものかもしれませんが、一族の絆を結ぶ大切な事柄とも思えます。「お盆」という言葉は仏教に元をなしていることは、ご存じの通りです。しかし初盆を迎える人達にとって、何でお盆というものがあるのか?と思われるかもしれませんので、大略ながら方便を交えてご案内致します。

 お盆の行事の典拠は盂蘭盆経にあり、同経には釈迦の弟子で目蓮という人が仏道を修行したその報いとして(1)地獄道、(2)餓鬼道、(3)畜生道、(4)修羅道、(5)人界道、(6)天界道という六道の世界が見える神通力を修得致しました(六神通ともいう)。

 目蓮はこの六道眼を使って餓鬼道を見た時、こともあろうに自分の母が餓鬼道に堕ち、逆さに吊られ、しかも痩せ細って見るも哀れな状態にあるのを発見し、びっくり仰天してなんとか助けようと思い、ご飯を鉢に盛って食べさせようとしたところ、口に入る前に炭になってしまい、水を飲ませようとしたら水は炎と化し、どんなに工夫してもついに飲ませる事も、食べさせる事もできなかったのです。

 目蓮は深く悲しみ釈迦に母の救済を願いました。しかし釈迦は母の罰根が深くたとえ孝順な心が深くても、一人の力ではどうすることもできない。そこで目蓮に梅雨の明ける(夏安居という)時、修行も終わる7月15日に七世の父母のために飯百味・五果ほかを供え、世の甘美を尽くして盆中にのせ、「十方大徳の衆僧を供養するべし」といわれ、そうすれば十方大徳の衆僧はまず施主家のために七世の父母を救済する呪願をして、その後に供養を受けてくれるだろう、といわれたのです。目蓮は大変喜び7月15日に盂蘭盆会を催し、母のために供養したので母は餓鬼道から救われたのです。この話や行事が親孝行を願う人々によって代々伝わって今のお盆行事につながっているのであります。

 各宗派の法脈を通じ、仏道を成就した僧侶の方々に、亡くなった人が極楽浄土に行けるよう葬送の時に導いていただいているという確信をするも、七世の父母となるとどうでしょう?素直に盂蘭盆経にある目蓮尊者の話を受け、三界万霊のためにもお盆に供養する事は、一家一族の信頼の絆を結ぶ大切な法要として、三界の中間にいる私達はこの行事の意味を大に受け、次世代に伝えることは大事な事柄です。

 なお、お盆の行事を都市部では7月15日に行なうところもありますが、先に記述したように、盆休みを利用して帰省する地方(ふるさと)では、農繁期の都合上、8月15日(盆休みもこれに合わせている)の1カ月遅れが多いようです。

 お盆精霊棚の造り方や行事の方法は全国津々浦々で異なっています。どれが正しいとか、悪いとか、間違っているとかではなく、いかに伝承されているか、それをどう受け継いでいくかにその地方の文化の重さがあるのではないかが伺われ、その意味では形式より大切な感があります。

 盆棚を造るにあたり、都市部では竹やその他の素材の入手に困難な場合もありますのと、近代建築によって盆棚をセットする場所がないといったことが生じているのも現実です。そのため盆棚も小型化されつつあります。あるいは極小の提灯のみの所も多くなっています。

 上記は伝統的なものではありませんが、新しい方法として参考になればとあえて掲載してみました。